このパンフを作成した当時、社内ではものすごく不評でした。こんな字の多いもの、一体誰が読むのか、と・・・確かに、これは誰かに読んでもらうことを意識して作ったものではありませんでした。自分自身が、手探りでやみくもに突き進んできたそれまでを一端整理し今後の宮崎農機具店が進んでいくべき方向を確認するために、必死で作ったものでした。 その時の大きなテーマとしたのが「稲穂の向こうに宇宙がみえる」でした。 当店会社案内前文 「雪の下から、黒い土が顔を見せる雪国の春。 人間が健康な生活を送るためには、理想的な地球環境で育まれる農作物が必要です。 わたしたちは今、稲穂の向こうに宇宙がみえる、という大きな志を持って、健康を核にして結んだ、農業機械の整備・販売から、健康に役立つ商品の販売までの六つの輪を業務としています。 この一つひとつの輪を、地球と人、人と人、人とモノの「結び」の中で一歩いっぽ着実にスパイラル曲線状に発展させてゆきたいと考えているのです。」 当店会社案内前文 その2 部分的には、時代の変化とともに加筆訂正してきたところもありますが、大筋では変化無しです! おもしろいのは、一文一文の最後は殆ど「考えます」で終わっています。当時は考えてばかりであまり実践が伴っていなかったのでしょう。 いや、逆にいえば、工業製品化社会(ベルコンで秒単位で製造されてくる新製品をとにかく売れさばかなければ・・・、そしてそれを達成するための道具として我々人間が存在している、ということを容認している社会)に疑問を持ってしまった一農機具屋が そんな宮崎オリジナルのコンセプトではありましたが、その後、そんな考え方を実践に移していくこととなります。 ですから、文の末尾が「考える」となっても不思議ではなかったと思います。
当時、バブル全盛のころ、藤本さんは日本の将来を見つめ、地元では完全に放置されていた「里山」の可能性について、熱く語っておられました。水中生命が自己変革を遂げたあかつきに、上陸を果たした海岸や水辺。そこが生命にとっての第一のふるさとだとすれば、第2のふるさとこそが「里山」。森の中に生息していたサルが、あらゆる危険を犯して森から出てきて里山の草原に姿をあらわした。 そこで狩猟・栽培(特に米の)の技術を体得し、自己変革を遂げて進化を自分のものにする。シーサイドのリゾートから里山をベースとしたリゾート。リゾートといっても、工業化社会の競争原理の中で自己喪失に陥ってしまった現代人にとっての心の再生・復活にとって欠かせない重要な場となるだろう。そんな藤本氏の主張に共感し、宮崎が直接ご本人に依頼し上越での講演会となったのでした。 講演会のテーマを何にするかと問い合わせたところ、宮崎君に任せます、の一言。当時、当店のお客様で峰村さんという方がおられました。映画事情にものすごく詳しく、お会いするといきなり映画のお話からという感じ。そんな峰村さんの影響で、中国映画を見ていました。「紅いコーリャン」「黄色い大地」監督は確かチャン・イーモウ。中国5世代の俳優・映画監督。骨太な人間スケッチと大胆な自然カットそんな印象を今でも記憶しております。人間の命の混沌が、コーリャン畑の向こうに沈む馬鹿でかい夕日と重なっていて、そんなイメージを稲穂に置き換えてみました。そこで出てきたフレーズが 写真は上越南警察署前の高陽荘という会場で、藤本さんの講演会を企画した時、正面に掲げたものです。ちなみに、この字は、当店でも招き猫でご紹介している深井和子さんに依頼したものです。
写真は当時のチラシです。この講演会をきっかけに、様々な人達との出会いを通して(藤本さんから紹介していただいたという方がより正確でしょう。)宮崎農機具店の方向性と特徴が、今日のあり方に向けて焦点を合わせていくことになります。 Kさんはその納豆(確か「NATTOU」途いう名前だったと思います。)を本業の書籍とともに宅配をしていたのでした。講演会場で藤本さんからKさんを紹介していただき、それからはかなりの間、Kさんとともに歩くことになります。お米の栽培提案を宮崎農機具店が受け持ち、そのお米の販路開拓、販売を二人で作った有限会社 結(ゆい)で行いました。書籍の流通ルートをさかのぼり、お米の受注をしていきつつ農家のみなさんから作付けを少しづつ増やしていただきました。そのお米を「てんてこ米」と名づけ、県外に向け発送を開始しました。 その時点で農機具屋が、「食」と出会い、消費者と出会い、稲作の問題点(品質よりも収量ねらい、農薬の問題、作る側の良心が問われない、農村の問題ー自分だけが農薬はまかない、とは言えない状況)に直面し、ありとあらゆる問題が一気に押し寄せて来ました。 現在当店が自然食品店を運営しているのも、当時のそんな出来事がきっかけでした。食が原因でありとあらゆる病気で苦しむ人達とは、その後いやというほどお付き合いすることになります。稲穂の向こうに宇宙がみえる、この言葉からよみがえる過去のエピソードは取り合えずこれまで・・・・ 農的幸福論ー藤本敏夫からの遺言 第1章 夕暮れに山に登れ 第2章 人間は万物に謝らねばならない 第3章 「自給ごっこ」の農遊び 第4章 未来への提言 編者 加藤登紀子さんのプロフィール
藤本さんとの出会い、により上記タイトルのフレーズがひらめき、その後の当店のキーワードになっていくのですが、あの当時藤本さんをきっかけとして広がっていった世界をもう一度再確認したくなりまいた。共通の農法でコシヒカリを農家のみなさん(てんてこ米グループ)から作っていただき、「てんてこ米」という名で県外に出荷を開始しました。出荷を担当したのが有限会社 結(ゆい)春陽館書店のKさんと設立した会社で、出版社や藤本さんの紹介で、てんてこ米のお客様を広げていきました。設立1周年を記念して、リージョンプラザ上越でイベントを行いました。そのメインが、藤本さんとCW・ニコル(黒姫在住の作家、環境保護家)さんの対談でした。それをきっかけにニコルさんのご自宅にも何度か出入りさせていただきました。当時の折込みチラシですが良く見ると「上映会」とあります。これが実はその後大きな話題を呼ぶことになる、龍村仁 監督の「地球交響曲 ガイアシンフォニー」の中の一本だったのです。 当時龍村さんは、配給先を探しているところで、西武と交渉中、だから あんまり派手にPRしないでね、という約束でビデオを一本お借りしたのでした。その内容があまりにもすばらしかったのを今でもはっきりと覚えております。アフリカ大陸では、象牙の乱獲・密売が頻繁に行われており、親象がその犠牲となり、子象がみなしごとして放置される。ダフニ・シェルドレイクという女性が見るに見かねて子象を引取り、育てそして野生の自然に帰していく。それだけなら「野生のエルザ」ににているのですが、それだけで終わらず、もっと素敵なお話が待っているのです。 1/2 稲穂の向こうに宇宙がみえる!? IT情報も含めありとあらゆる情報のウズに取り巻かれているにもかかわらず、もっとも大切な自分を生かす情報には耳をふさいでいます。一番大切な声は一番小さいものです。そんなかすかな、そして大切な声を聞き漏らさないためには、心が静かになっていないと無理です。 どんどん文章がそれてきたような気がしますが、このテーマに付いては又書きたくなった時、です。 2/2 稲穂の向こうに宇宙がみえる!? 1/2 まあ、そんな訳で先ず自分自身の身辺整理からということで、いま、大掃除の真っ最中。本当に要らないものは捨てる、使えるけど要らないものはそれがあれば喜ぶだろうな、とひらめいた人に相手の迷惑もあまり考えずに差し上げる、忘れていたけど自分が使うべきものはもう一度ほこりを払って日常生活に復帰させてあげる。ものが生きる、人が生きる、そしてなにより広くなった空間が生きる。以前はその逆で、不必要なモノで空間がうめ尽くされ、本当に必要なものがその影に隠れて見つからず、あるのにもう一度買うことになり、必要なものを導入する空間が無く・・・・ 何をいいたいかというと、掃除中に1枚の写真を発見。それを言いたかったのです。
黒姫のCWニコルさんのお宅でお酒をご馳走になった時のワンカットだと思います。1982年ですか・・・このころ始めて「アースデー」地球について、他人事ではなく自分のこととして考えようよ、という考え方が日本に上陸しました。日本で最初の大規模なアースデー・イベントが沖縄で開催され、藤本さんのお誘いを受けて、沖縄に行ったのがまるで昨日のことのようです。那覇で開催されたシンポジュウムは、物凄い熱気に包まれ何かが生み出される前の混沌としたエネルギーが渦巻いていました。加藤登紀子さんや喜納昌吉さん(花は流れてどこどこ行くの)などの音楽関係者も多く参加されていました。 その時の打ち上げに誘われていったのですが、藤本敏夫さん・加藤登紀子さん・喜納昌吉さん他名前は忘れましたがテレビでよく見る顔(人)が沢山参加されておりました。そのころに宮崎の人間関係と進む方向が決まっていったのでしょうね。そんな過去の出来事が、たった1枚の写真から溢れ出してきました。 藤本さんには、そういう意味で随分お世話になったなー、と今更ながら感慨にふける宮崎でした。その割りに若さのいたりとはいえ、お礼をいてなかったなー・・・数年前に藤本さんは亡くなられたのですが、この一連の「稲穂シリーズ」はなんだか藤本さんに捧げるレクイエムだったような気がします。 |