稲穂の向こうに稲穂の向こうに宇宙がみえる!?
これは今から8年前の1996年に作成した当店の会社案内です。それまでの約15・6年くらいの間に、宮崎が当店に入り、戸惑い、考え、模索し、実践してきた事柄を一生懸命整理し作ったものです。

このパンフを作成した当時、社内ではものすごく不評でした。こんな字の多いもの、一体誰が読むのか、と・・・確かに、これは誰かに読んでもらうことを意識して作ったものではありませんでした。自分自身が、手探りでやみくもに突き進んできたそれまでを一端整理し今後の宮崎農機具店が進んでいくべき方向を確認するために、必死で作ったものでした。

その時の大きなテーマとしたのが「稲穂の向こうに宇宙がみえる」でした。


当店会社案内前文

「稲穂の向こうに宇宙がみえる」をテーマとした会社案内パンフに付いては、前に書きましたが、そのパンフ前文をここで転載します。

「雪の下から、黒い土が顔を見せる雪国の春。
今年もこの大地から、数多くの農作物が涌き出てきます。
種籾が稲穂に育ち、秋には米となり、ごはんとなって、最後に人の身体になってゆく・・・・・・。
こうした大きな自然の営みの中に、地球に生きるわたしたちに人間の健康の原点を見ることが出来ると考えます。

人間が健康な生活を送るためには、理想的な地球環境で育まれる農作物が必要です。
だから農作物を生産する農業は、健康産業そのものなのです。
この健康産業としての農業に、わたしたちは深くかかわりアシストしていきたいと考えます。

わたしたちは今、稲穂の向こうに宇宙がみえる、という大きな志を持って、健康を核にして結んだ、農業機械の整備・販売から、健康に役立つ商品の販売までの六つの輪を業務としています。
1.農機・除雪機
2.農業資材
3.営農アシスト
4.農作物の流通
5.健康講座(料理教室)の開催
6.健康食品・生活雑貨

この一つひとつの輪を、地球と人、人と人、人とモノの「結び」の中で一歩いっぽ着実にスパイラル曲線状に発展させてゆきたいと考えているのです。」

当店会社案内前文 その2

前文を今読み返してみますと、1996年制作ですから8年前ということになる訳ですが、当店が向かう方向性に付いては全く変わっていないことに改めて気づきました。

部分的には、時代の変化とともに加筆訂正してきたところもありますが、大筋では変化無しです!

おもしろいのは、一文一文の最後は殆ど「考えます」で終わっています。当時は考えてばかりであまり実践が伴っていなかったのでしょう。

いや、逆にいえば、工業製品化社会(ベルコンで秒単位で製造されてくる新製品をとにかく売れさばかなければ・・・、そしてそれを達成するための道具として我々人間が存在している、ということを容認している社会)に疑問を持ってしまった一農機具屋が
自分自身の生活のあり方への大義名分をずっと捜し求めて来たのだし、あの時点でやっと自分にしっくり来る(つまり借り物ではない)コンセプトを発見・創造しかかつていたのだと思います。

そんな宮崎オリジナルのコンセプトではありましたが、その後、そんな考え方を実践に移していくこととなります。

ですから、文の末尾が「考える」となっても不思議ではなかったと思います。


稲穂の向こうに稲穂の向こうに宇宙がみえる!?
当店 会社案内 を作成したのが1996年それからさかのぼること約6年。宮崎 35・6歳の時、講演会を企画しました。講師は藤本敏夫さん。歌手の加藤登紀子さんの旦那というほうが理解してもらえるでしょうか・・

当時、バブル全盛のころ、藤本さんは日本の将来を見つめ、地元では完全に放置されていた「里山」の可能性について、熱く語っておられました。水中生命が自己変革を遂げたあかつきに、上陸を果たした海岸や水辺。そこが生命にとっての第一のふるさとだとすれば、第2のふるさとこそが「里山」。森の中に生息していたサルが、あらゆる危険を犯して森から出てきて里山の草原に姿をあらわした。

そこで狩猟・栽培(特に米の)の技術を体得し、自己変革を遂げて進化を自分のものにする。シーサイドのリゾートから里山をベースとしたリゾート。リゾートといっても、工業化社会の競争原理の中で自己喪失に陥ってしまった現代人にとっての心の再生・復活にとって欠かせない重要な場となるだろう。そんな藤本氏の主張に共感し、宮崎が直接ご本人に依頼し上越での講演会となったのでした。

講演会のテーマを何にするかと問い合わせたところ、宮崎君に任せます、の一言。当時、当店のお客様で峰村さんという方がおられました。映画事情にものすごく詳しく、お会いするといきなり映画のお話からという感じ。そんな峰村さんの影響で、中国映画を見ていました。「紅いコーリャン」「黄色い大地」監督は確かチャン・イーモウ。中国5世代の俳優・映画監督。骨太な人間スケッチと大胆な自然カットそんな印象を今でも記憶しております。人間の命の混沌が、コーリャン畑の向こうに沈む馬鹿でかい夕日と重なっていて、そんなイメージを稲穂に置き換えてみました。そこで出てきたフレーズが
「稲穂の向こうに宇宙がみえる」でした。

写真は上越南警察署前の高陽荘という会場で、藤本さんの講演会を企画した時、正面に掲げたものです。ちなみに、この字は、当店でも招き猫でご紹介している深井和子さんに依頼したものです。

稲穂の向こうに稲穂の向こうに宇宙がみえる!?
藤本敏夫さんの講演会の時に作った新聞おり込みチラシです。当時としては、かなりシュールな構成と色使いだったと思います。なにしろ、一色、オール黒でしたから・・・

写真は当時のチラシです。この講演会をきっかけに、様々な人達との出会いを通して(藤本さんから紹介していただいたという方がより正確でしょう。)宮崎農機具店の方向性と特徴が、今日のあり方に向けて焦点を合わせていくことになります。

稲穂の向こうに宇宙がみえる!?
このフレーズからよみがえる過去の一コマを、藤本敏夫さんとの出会いを中心に語ってきましたが、ここでこのテーマにまつわるエピソードとして最後に触れておくべきことがあります。講演のために来越された藤本氏とすでにお付き合いされていた人がこの上越にいたのです。S書店の専務(当時)Kさん。藤本氏は当時、日本の文化の中から生まれた納豆に注目し、千葉県鴨川に拠点「自然王国」を置き、真っ白でおしゃれな箱に入った納豆を全国に配送しておりました。

Kさんはその納豆(確か「NATTOU」途いう名前だったと思います。)を本業の書籍とともに宅配をしていたのでした。講演会場で藤本さんからKさんを紹介していただき、それからはかなりの間、Kさんとともに歩くことになります。お米の栽培提案を宮崎農機具店が受け持ち、そのお米の販路開拓、販売を二人で作った有限会社 結(ゆい)で行いました。書籍の流通ルートをさかのぼり、お米の受注をしていきつつ農家のみなさんから作付けを少しづつ増やしていただきました。そのお米を「てんてこ米」と名づけ、県外に向け発送を開始しました。

その時点で農機具屋が、「食」と出会い、消費者と出会い、稲作の問題点(品質よりも収量ねらい、農薬の問題、作る側の良心が問われない、農村の問題ー自分だけが農薬はまかない、とは言えない状況)に直面し、ありとあらゆる問題が一気に押し寄せて来ました。

現在当店が自然食品店を運営しているのも、当時のそんな出来事がきっかけでした。食が原因でありとあらゆる病気で苦しむ人達とは、その後いやというほどお付き合いすることになります。稲穂の向こうに宇宙がみえる、この言葉からよみがえる過去のエピソードは取り合えずこれまで・・・・


農的幸福論ー藤本敏夫からの遺言
藤本さんの話題が出たので、ご紹介させていただきます。実は、藤本さんは2002年7月31日に亡くなられました。その間際まで、執筆されていた原稿約800枚を奥様の加藤登紀子さんが編集されて本になったもの。ざっと目次を紹介します。

第1章 夕暮れに山に登れ
アジアの国だから/加藤登紀子
「現場」に聞け
貧困と幸福の幼年時代
少年時代の儀式

第2章 人間は万物に謝らねばならない
「人間はこの時代に生きられるのか」/加藤登紀子
生産力とい神話
自然の破壊
人間の破壊
われわれは何に立脚するのか

第3章 「自給ごっこ」の農遊び
鴨川自然王国からの便り/加藤登紀子
自然王国の農林省
大豆を国王の座に
厳粛な儀式
「食」の本当の意味
田んぼ奮戦記
草取り隊の総括
鴨川の共同体
村の夏祭り

第4章 未来への提言
最後の日々/加藤登紀子
21世紀型ライフスタイル・「農的生活」を築こう
藤本敏夫 最後のインタビュー

編者 加藤登紀子さんのプロフィール
1943年ハルビンで生まれる。1965年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝、歌手活動に入る。1966年「赤い風船」で第八回レコード大賞新人賞受賞。1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知床旅情」で、それぞれ日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「この空を飛べたら」「愛の暮らし」「灰色の瞳」「時代おくれの酒場」「わが人生に悔いなし」「百万本のバラ」「難破船」「川は流れる」など多数のヒット曲を持つ。
この他、環境問題にも積極的に取り組み、1997年2月WWFジャパン評議員に就任。2000年に国連環境計画(UNEP)の親善大使にも就任、2002年8月にはヨハネスブルク・地球環境サミットに参加した。




稲穂の向こうに稲穂の向こうに宇宙がみえる!?

又この話題です。これが今回のほぼ最後になると思いますが、これだけは語っておきたい、という内容なので少しくどくなりますが、お許しを・・・

藤本さんとの出会い、により上記タイトルのフレーズがひらめき、その後の当店のキーワードになっていくのですが、あの当時藤本さんをきっかけとして広がっていった世界をもう一度再確認したくなりまいた。共通の農法でコシヒカリを農家のみなさん(てんてこ米グループ)から作っていただき、「てんてこ米」という名で県外に出荷を開始しました。出荷を担当したのが有限会社 結(ゆい)春陽館書店のKさんと設立した会社で、出版社や藤本さんの紹介で、てんてこ米のお客様を広げていきました。設立1周年を記念して、リージョンプラザ上越でイベントを行いました。そのメインが、藤本さんとCW・ニコル(黒姫在住の作家、環境保護家)さんの対談でした。それをきっかけにニコルさんのご自宅にも何度か出入りさせていただきました。当時の折込みチラシですが良く見ると「上映会」とあります。これが実はその後大きな話題を呼ぶことになる、龍村仁 監督の「地球交響曲 ガイアシンフォニー」の中の一本だったのです。

当時龍村さんは、配給先を探しているところで、西武と交渉中、だから あんまり派手にPRしないでね、という約束でビデオを一本お借りしたのでした。その内容があまりにもすばらしかったのを今でもはっきりと覚えております。アフリカ大陸では、象牙の乱獲・密売が頻繁に行われており、親象がその犠牲となり、子象がみなしごとして放置される。ダフニ・シェルドレイクという女性が見るに見かねて子象を引取り、育てそして野生の自然に帰していく。それだけなら「野生のエルザ」ににているのですが、それだけで終わらず、もっと素敵なお話が待っているのです。

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稲穂の向こうに宇宙がみえる!?

一番最初にそうして助けられ自然に帰してもらった1頭の象、エレナ。2頭目からの象をそろそろ自然の森に帰す時期に来たな、とダフニおばさんが感じ始めると、ちゃんとどこからともなくエレナが現れ、そして子象を引取り森に連れていく。つまりみなしご象の飼育と森への返還が、人間と象の見事な連携で成立している、という信じられない事実。「ガイアシンフォニー」というのは、自然とのかかわりに人生の意味を見出して生きているすばらしい人間達の営みをオムニバス形式で紹介している映画であり、これが日本全国にうわさで広がり、各地で自主上映というカタチで広がっていくことになりました。その後時代はバブルがはじけ、今まで当たり前だと思い込み、そして思い込まされて来たすべてが、もちろん人間の生き方も含めて、問い直しの時代に入ってきました。それまでのやり方では、なんだかしっくり行かなくなった、あらゆる分野や組織の中で問題が吹き出てきました。時代のそういう空気を呼吸しないまま、覇権の上であぐらをかいて来たメーカーは、それこそトラブルメーカーになってしまっていることにも気づかない。我々は今そんな時代を生きています。

IT情報も含めありとあらゆる情報のウズに取り巻かれているにもかかわらず、もっとも大切な自分を生かす情報には耳をふさいでいます。一番大切な声は一番小さいものです。そんなかすかな、そして大切な声を聞き漏らさないためには、心が静かになっていないと無理です。

どんどん文章がそれてきたような気がしますが、このテーマに付いては又書きたくなった時、です。

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稲穂の向こうに宇宙がみえる!? 1/2

なぜ,当店のトラックや会社案内・店内ディスプレーに「稲穂の向こうに宇宙が見える」という言葉があしらわれているか、以前にご紹介したことがあります。最近我が家では、部屋という部屋をはじから、お片付けし始めています。うちはごみ箱かと思うほど、不用になったもので埋め尽くされていたことにあらためて驚いております。たまるのは「ストレスとごみと請求書」そんな感じです。特に私どものような業者は、自分にかかわる人・もの・お金・時間・空間・情報などすべてを生かすよう迫られております。今あげたどれか一つでも生かしきれないと、いづれ倒産。大変わかりやすい仕組みの中に放り込まれております。

まあ、そんな訳で先ず自分自身の身辺整理からということで、いま、大掃除の真っ最中。本当に要らないものは捨てる、使えるけど要らないものはそれがあれば喜ぶだろうな、とひらめいた人に相手の迷惑もあまり考えずに差し上げる、忘れていたけど自分が使うべきものはもう一度ほこりを払って日常生活に復帰させてあげる。ものが生きる、人が生きる、そしてなにより広くなった空間が生きる。以前はその逆で、不必要なモノで空間がうめ尽くされ、本当に必要なものがその影に隠れて見つからず、あるのにもう一度買うことになり、必要なものを導入する空間が無く・・・・

何をいいたいかというと、掃除中に1枚の写真を発見。それを言いたかったのです。

稲穂の向こうに稲穂の向こうに宇宙がみえる!? 2/2
それがこの写真です。

黒姫のCWニコルさんのお宅でお酒をご馳走になった時のワンカットだと思います。1982年ですか・・・このころ始めて「アースデー」地球について、他人事ではなく自分のこととして考えようよ、という考え方が日本に上陸しました。日本で最初の大規模なアースデー・イベントが沖縄で開催され、藤本さんのお誘いを受けて、沖縄に行ったのがまるで昨日のことのようです。那覇で開催されたシンポジュウムは、物凄い熱気に包まれ何かが生み出される前の混沌としたエネルギーが渦巻いていました。加藤登紀子さんや喜納昌吉さん(花は流れてどこどこ行くの)などの音楽関係者も多く参加されていました。

その時の打ち上げに誘われていったのですが、藤本敏夫さん・加藤登紀子さん・喜納昌吉さん他名前は忘れましたがテレビでよく見る顔(人)が沢山参加されておりました。そのころに宮崎の人間関係と進む方向が決まっていったのでしょうね。そんな過去の出来事が、たった1枚の写真から溢れ出してきました。

藤本さんには、そういう意味で随分お世話になったなー、と今更ながら感慨にふける宮崎でした。その割りに若さのいたりとはいえ、お礼をいてなかったなー・・・数年前に藤本さんは亡くなられたのですが、この一連の「稲穂シリーズ」はなんだか藤本さんに捧げるレクイエムだったような気がします。